こんにちは!
『身近な人に笑顔』になっていただくことを使命としている、ゴミ片付け屋さんの杉本祐司(すぎもと ひろし)です。
私がこの仕事をしていて、一番の幸せを感じるのは、「ありがとう!」と飛びっきりの笑顔で言ってもらえた時です。
なので、全員に笑顔になってもらえるように、トコトン笑顔で仕事をしています。
そして、どこのゴミ回収業者に頼んだらいいか悩んでいる方に、少しでも笑顔になっていただくこと、そして、身近な人にも笑顔になっていただくことを喜びとしています。
では、なぜ私が、これほどまでに、『笑顔』大切にしているのか、聴いていただけますか?
私は、水道屋を営む父、それを手伝う母の長男として広島市で生まれ育ちました。小さい頃、父とはあまり会話をしたことがありませんでしたが、ボクがやることを否定したりすることはなく黙って見守ってくれているという感じでした。
小さい頃のボクは身体が弱く小児ぜんそくにかかっていたので、それを治すために母は毎日点滴を打つために病院に連れて行ってくれたり身体を強くするために水泳を習わせたり 「絶対よくなる」と母がいろいろと手をかけてくれたおかげですっかり小児ぜんそくはよくなり、母のおかげで元気に育つことができました。
小学生の頃には広島東洋カープが大好きなカープ男子でした。
その中でもカープの高橋慶彦選手に憧れて毎日毎日、夢中になって壁を相手にキャッチボールをしたりバットで素振りをしていました。
中学校時代は初代タイガーマスクとブルース・リーに憧れて毎日バック転の練習をしたり、なんでもすぐに熱中する性格でした。
「やりたいことがみつからない」
高校を卒業してからはとくにやりたいこともなく同級生の友達から「なにもすることがないなら、とりあえず働いてみる?」と
紹介された内装屋さんで働くことになりました。 2年ほど働いてみたのですが、「ほんとにこの仕事がやりたいのだろうか?」と辞めてしまいました。
それでも、ボクの方はやりたいことや自分が何をしたいのかもわからないまま生活の為にバイトを転々としていました。
そうした状況を見かねてか親父から「こうゆう会社があるけど働いてみるか?」
やりたかったわけではありませんが、また断る理由もなく生活の為に就職することになりました。
得にその仕事が嫌だったわけではないのですが、いつも誰かに仕事を紹介されてなんとなく生活の為に働いているけどこのままでいいのかな?と疑問を持ちながらも月日がたっていきました。
やりたいことがみつからない何をしたいのかわからない自分に苛立ち、いつからかギャンブルにはしるようになっていきました。
仕事が終わってはギャンブルをして有り金をすって家に帰るという日々が続きました。自分でも気付かないうちにギャンブル依存症になっていたのです。
そんなことをしてお金がもつはずもなく、いつの間にか借金が200万円になっていました。
やりたいことが見つからない自分にとって唯一の楽しみだと思っていたギャンブルも実際はギャンブルに夢中になることで「やりたいことが見つからない嫌な自分」と向かい合わなくて済む、嫌なことを考えなくて済むと自分から逃げていたのでした。
ギャンブルが辞めたくても辞められない、またやっては自己嫌悪に陥るという負の連鎖でどんどん自分の事が嫌いになっていきました。
「このままじゃイヤだ!」
そんな終わりの見えない苦しい、辛い日々が何年か続きましたが、このままじゃイヤだ!
嫌いな自分を変えたい!
何か少しでも興味があることをやってみたい!
という思いが強くなり退職して、リサイクル業界に少し興味があった関係で不用品回収の会社で働くことにしてみました。
はじめての営業職で不安もありましたが、日を追うごとに安定して売上げをあげれるようになりました。
お客さんから直接「ありがとう」と感謝される仕事はこれが初めてで、仕事が楽しい、初めて自分の意思でやりたくて仕事をやっていると実感することができました。
ただその一方で、売上げがあがると調子にのって仕事が忙しくなればなるほど、うまくいけば行くほど仕事仲間に対して怠慢になっていき どんどん雰囲気が悪くなっていきました。
仕事はうまくいっていましたし、なんでみんなは理解してくれないんだろう?なんでボクの足を引っ張っるんだろう?と、誰の為に頑張ってると思っているんだと、まるで邪魔者のように感じてさえいました。
そうしていくうちに最初のうちはたくさんあった仕事が次第に取れなくなっていき問い合わせや見積もりの機会はそれ程変わらないのですが、あれだけ契約がとれていたのがウソのようにまったくとれなくなりました。
いままでなら取れていたような仕事もとれなくなり、まるで何か見えない力が働いているような気がしていました。
そして追い討ちをかけるように彼女との関係もどんどん悪くなっていき精神的にも限界がきていましたが、「なんとかなる」と根拠のない言葉を彼女と自分自身にも言い聞かせて そうした状況をどうすることもできずにただ時間が過ぎていきました。
そんなある日 実家を訪れた時に親父から「最近、うまくいっているのか?」と聞かれました。
普段はそんなことは全く聞いてこない親父のセリフにびっくりしました、、
答えはもちろん「ノー!」でしたが、、
ぼくは、本当のことは言えず「まあまあ。。。ね」と力なく返事をしました。
まるでボクの今の状態が透けてみえてるのではないかという親父のセリフに、「あ~ 親父もボクのコトを心配してくれているのだな」と思ったと同時に「いつまでも心配かけていちゃダメだ!元気なうちに安心してもらいたい!」この時はじめて「本当の親孝行は自分自身が幸せになること。その姿を見せて安心してもらうこと」 この言葉の意味がわかった気がしました。
これは今でも親しくしていただいてるお客さまSさんに以前何度もいわれていた言葉でした。
このままじゃいけないと思い 仲間のみんなとちゃんと膝をつき合わせて話をしました。
話をしてみると、ボクがいかに支えられてきたか、売上げばかりで仲間の気持ちを顧みていなかったか、振り返ってみると最初に苦しかった時期を支えてくれたこと「おまえならできる」と言って元気づけてくれたことを思い出しました。
こんなことにいままで気付かなかったのかと本当に情けない気持ちになり、仕事がうまくいくようになったからといって調子に乗って怠慢になっていたんだなと気付かされただただ「ごめんなさい」としか言えませんでした。
この時に「身近な人を笑顔にできずにお客さまを笑顔にできるはずがない」と強く思いました。
両親や家族 仕事仲間や身近な人に笑顔になってもらいたい
どうしたらいいだろう、、、、
Sさんからはこうも言っていただいていました。
「何か特別な時だけ何かするよりも日頃の積み重ねが大事よ」
その言葉通りに まずはお母さんに毎日携帯から電話をしてみることにしました。
恥ずかしい気持ちもあってか大したことは言えないのですが、とりあえず毎日「元気?」とだけ電話をしてみました。
はじめは「どしたん?急に、、」と気持ち悪がられていましたが。。。。。汗
次第に電話をし続けるうちに電話をしてくれて「ありがとう」と言ってくれるようになりました。
親父ともあまり会話をしたことがなかったのですが、仕事やいろいろなことで困った時に相談をして会話をしてみることにしました。
そうするとビジネスの先輩としていろんなことを嬉しそうにアドバイスしてくれました。
親父はどんなことにも答えてくれて本当に頼もしいなあ。いろいろ知っていてかっこいいなあ。と改めて尊敬できるようにもなっていきました。
仕事仲間に対しても、たまに焼肉を食べに行ったりするだけでなく、作業中にも声かけ気にかけをしていき、なるべく多くコミュニケーションをとるようにしていきました。
身近な人の笑顔を意識しはじめてからは、お客さまへの対応も変わっていきました。
どうすればお客さまに笑顔になってもらえるか?どんなことに困っているのか?真剣に考えるようになっていき、そうした態度にお客さまも信頼してくれて、本当に困っていることを「こいつなら話してもいいかな」と安心してボクに話してもらえるようになっていき、次第に前以上に仕事が増えはじめ「ありがとう」「助かりました」と喜びの声もたくさんいただけるようになっていきました。
仕事柄お客さんのなかには、親父や母さんに年齢が近い方も多くお客さまに喜んでもらえたり認められると、親に認められ喜んでもらえているようでとても嬉しくて、この仕事をしていてよかったなと心から思います。
このことから まずは身近な人から笑顔になってもらうこと それこそが基本で、そうすれば自然にお客さまにも笑顔になってもらえることができるんだと気付くことができました。
そこで、これからのボクの使命は「身近な人の笑顔」とすることに決意しました。
最後になりましたが、親父や母さん、仕事仲間、身近な人にひとこと
大切なことに気付かせてもらって本当にありがとう!